2人のグラフィティアーティストによる因縁の対決と寂しい幕切れ
イギリス・ロンドン北部のカムデンにあるリージェンツ運河沿いの目立たない場所に、いわくつきのウォールアートが残されています。
ここは2人のグラフィティ・ライターが何度も塗り変え、描き直した因縁の場所、いわば「対決」の場として知られるようになっています。
今ではキャリアの長いベテランのグラフィティ・アーティストとして知られる"ROBBO“が初めてこの場所に作品を残し、それ以来しばらくは歴史的な場所としてこの運河の名物にもなっていました。
ところが、新参の覆面アーティストとして知られる"Banksy“がこのグラフィティを挑発ともとれる別の作品に描き替えてしまいました。
そこからこの2人の「描き変え合戦」が始まりました。
1985年、ROBBOが描いた最初の作品。
2006年当時、ところどころ落書きが加えられ、廃れた雰囲気に。
そして2009年12月、Banksyが壁紙をはがす(貼る?)作業員風の絵を描き、これがROBBOへの挑発行為とみなされました。
その2週間後、ロボが反撃。自分の呼称「KING ROBBO」とデカデカと描き変えてしまいます。
さらにその数ヶ月後、Banksyが「FUC」の文字を描き加え、「FUCKING ROBBO」という文字にしちゃいました。
まるで陰湿な子供のケンカみたいな反撃です。
ROBBOは忙しかったのか、とりあえずその屈辱的な部分だけを消して元通りに。
ここで何者かによって一旦黒く塗り潰されてしまいます。
ケンカ両成敗!的なおせっかいさんの仕業でしょうか。
しかし対決はまだまだ続きます。
2010年7月、ROBBOはBanksyのこれまでのキャリアを死に追いやる、という意味を込めてこんな作品を描きました。
そしてまたまた何者かによって黒く塗られてしまいます。今度は前よりもきれいに真っ黒になりました。
2011年1月、Banksyは金魚ばちが置いてある暖炉の部屋みたいなグラフィティを残しました。
まあ、ここらで落ち着こうよ、的な雰囲気を出そうとしたのでしょうか。
だんだん押し問答のようになってきましたが、これに対してROBBOが返答のグラフィティを描こうとしていた矢先、2011年4月、不慮の事故によりこん睡状態に陥ってしまいます。
BanksyはROBBOが最初に描いたグラフィティを白のスプレーだけで描き、それを火で灯すという、いわばROBBOへのオマージュを残し、それは2人の確執が終了したことを意味しているようにも取れます。
2人の落書き対決はこんな形で幕を閉じることになりました。
ROBBOさんが目覚めて2人の対決が再開されることを望むファンも少なくないようです。
結果としてこの一連の描き変え合戦が2人のアーティストによる時間のかかった共同作品ということで語り継がれることになるのかもしれませんね。
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